西琳寺
竹内街道と東高野街道が交差する蓑の辻から東に進むと道は鍵形に屈曲する。この北側に白鳳時代に創建された西琳寺がある。渡来系氏族の西文氏(かわちのふみうじ)によって建立された寺院で、巨大な礎石や屋根を飾った装飾豊かな鴟尾(しび)も出土しており、当時、絢爛豪華な寺院であったことが伺える。
緑の一里塚
平成25年に竹内街道・横大路(大道)が敷設されて1400年の節目を迎えたことを契機として、府県を越えて大道沿線の10市町村(大阪市・堺市・松原市・羽曳野市・太子町・葛城市・大和高田市・橿原市・桜井市・明日香村)と大阪府、奈良県が集まり、「竹内街道・横大路難波から飛鳥へ日本最古の官道「大道」1400年活性化実行委員会」を発足して、連携しながら周辺地域の魅力を再発掘し、街道の魅力を高め、地域活性化等に繋げる取り組みを進めています。
そのプロジェクトの一つとして、街道をつなぎ、地域の賑わいを創出するとともに、みどりを実感していただくため、街道沿いに、みどりを感じるスポット「緑の一里塚」を各市町村に整備しています。つきましては、このたび平成29年4月1日に橿原市八木町に「緑の一里塚」が完成しました。
緑の一里塚
一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里程の目印であり、塚上の木がつくりだす木陰は一服の休憩所でもありました。
2013年竹内街道・横大路が敷設1400年を迎えたことを記念して、大阪市、堺市、松原市、羽曳野市、太子町、葛城市、大和高田市、橿原市の街道沿いに「緑の一里塚」が整備されています。
緑の一里塚
一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里程の目印であり、塚上の木がつくりだす木陰は一服の休憩所でもありました。
2013年竹内街道・横大路が敷設1400年を迎えたことを記念して、大阪市、堺市、松原市、羽曳野市、太子町、葛城市、大和高田市、橿原市の街道沿いに「緑の一里塚」が整備されています。
飛鳥寺
中ツ道の東に位置し、588 年蘇我馬子が建てたと伝わる日本最古の仏教寺院。大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも飛鳥の蹴鞠(けまり)の会であったといわれている。
香具山
中ツ道の東に位置し、古代から「天」という尊称が付くほど神聖視され、万葉集にも数多く歌われた大和三山の一つ。
橘寺
中ツ道の西側に位置する聖徳太子誕生の地で、太子が用明天皇の別宮を寺に改めたといわれる。聖徳太子建立七大寺のひとつ。皇族・貴族の庇護を受け栄えた。
藤原宮跡
約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都の藤原京にあった宮で、日本で初めて造られた瓦葺の宮殿。内部には政治の中枢となる施設のほか、天皇や皇后の住まいである内裏、行政の実務をおこなう官衙がおかれた。
本薬師寺跡
下ツ道の東に位置し、奈良・西の京にある薬師寺の前身にあたる寺で、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して、680 年に建立に着手。皇后・持統天皇がその遺志を継いで完成させた。
おふさ観音
下ツ道沿いに位置し、正式名を高野山真言宗別格本山観音寺とう。本尊の十一面観音で、近年老人病封じを願う人々が多く訪れるようになっている。
甘樫丘
山田道の南に位置し、古くは盟神探湯の神事が行われた場として伝わる。大化の改新以前は蘇我蝦夷・入鹿親子が権勢を示すために邸宅が営まれていた場所であったと言われ、頂上から大和三山や藤原京を一望することができる。
山田寺跡
乙巳の変(大化の改新)の功臣蘇我倉山田石川麻呂によって発願された古代寺院。発掘調査により、7世紀に創建された寺院のほぼ全容が明らかとなっている。なかでも倒壊した状態で出土した回廊は、わが国最古の木造建築様式を示すものとして注目されている。
雷丘東方遺跡
推古天皇は自身が即位した豊浦宮から山田道沿いの小墾田宮(雷丘東方遺跡)に遷宮し、聖徳太子、蘇我氏らとともに、冠位十二階や十七条憲法の制定、遣隋使の派遣などの重要政策をおこなった。
向原寺(豊浦宮・豊浦寺跡)
山田道の南側に位置する。起源は6 世紀の仏教伝来の頃までさかのぼり、『日本書紀』によると552年に百済の聖明王が初めて我が国に仏像、仏典をもたらしたとき、蘇我稲目が仏像を譲り受け、向原の家を浄めて寺にしたとされる。
土舞台
『日本書紀』推古紀に、百済人味摩之が桜井の地にて少年を集め、伎楽舞を習わしめたという記述がある。桜井市大字谷の土舞台はその伝習の地として顕彰され、「日本芸能発祥の地」とも言われている。
八幡神社
横大路と上ツ道の交差点付近に位置する神社。境内には、江戸時代に奉献された石造狛犬や石燈籠などがある。
安倍文殊院
古代の有力氏族である安倍氏が建立した安倍寺から続く寺院であり、中世に現在の位置に移転したとされる。日本三文殊の一つで、山田道の傍に位置する。本尊の文殊菩薩像は快慶作で、国宝に指定されている。
太神宮灯籠
江戸時代、伊勢神宮への「おかげ参り」の道標として、横大路沿いに建てられた。この灯籠は、当時、参詣者へのもてなし(おかげ)がされた「接待場」から200m西へ移築したもの。
今井町
今井町は、戦国時代末期に一向宗道場の寺内町として成立。織田信長に降伏し、自治権を認められると「大和の金は今井に七分」といわれるほど栄え、「海の堺、陸の今井」と称された。今も約500棟の伝統的建造物が残る。
不動院(大日堂)
横大路の北側に位置し、聖徳太子の創建と言われ、1483 年、高田城主当麻為長が本堂を建立し、本尊の大日如来像は鎌倉時代に造られた。
長谷本寺
8 世紀初頭の創建の寺院。横大路に面し、傍には道標が残る。本尊の十一面観音菩薩像は、桜井市の長谷寺本尊の十一面観音菩薩像と同木で刻まれたと伝わる。
龍王宮
竹内街道の南側に位置する龍王宮は、石園坐多久虫玉神社(いそのにますたくむしたまじんじゃ)といい、崇神天皇の時代に勅祭が行われたと伝わる延喜式内社。本社は安寧天皇の片塩浮孔宮跡と伝わり、付近からは土器・木棺・埴輪・七鈴鏡などが多数発掘されている。
三輪神社
横大路と中ツ道との交差部に鎮座する神社。境内に礎石が存在し、江戸時代は「おかげ参り」の目印であった大きなケヤキの古木が鳥居脇に建っていた。
大神神社
三輪山の西麓に鎮座する。本殿を設けず、三ツ鳥居を通してご神体である三輪山を拝するという、古代の神社形態を今に伝えている。その祭祀のはじまりは崇神天皇の時代に遡るとされ、我が国最古の神社と呼ばれている。
八木札の辻
「下ツ道」と「横大路」の交差点が「八木札の辻」で、古代からの交通の要衝。近世・江戸時代には伊勢参りや大峯への参詣巡礼などで賑わう。
太神宮の高燈籠
大和平野を東西に貫く横大路を東から高田に入る位置に建つ高燈籠。往時、伊勢大神宮をめざす「御陰参り」などの、旅の道しるべとして明かりが灯された。
専立寺・寺内町
1600 年の創建で「高田御坊」ともいわれる。横大路の北側に隣接し、専立寺を中心に寺内町が発展し、今日の商いのまちの礎が築かれた。江戸・明治・大正・昭和の町並みを見ることができる歴史地区。
奥田蓮取り行事
毎年7月7日の七夕の日に奥田の捨篠池において「蓮取り行事」が行われる。室町時代から庶民信仰のひとつで、「蓮華会(れんげえ)」の一連の行事である。修験者によって道中の祠に献花されながら吉野山金峯山寺・蔵王堂での「蓮華会」「蛙飛び行事」に参加し、そのあと大峰山頂上までの祠に供えられる。
石光寺
竹内街道の北に位置し、白鳳期の石造如来坐像、塼仏、古瓦、礎石等が出土し、創建は飛鳥時代後期と考えられている。昔この地に夜ごと光る石があり、それを刻み弥勒三尊仏とし御堂が建立されたことから石光寺と名付く。奈良時代、中将姫が當麻曼荼羅を織る蓮糸を、この寺の井戸の水に浸すと、五色に染まったと伝わる。中将姫伝説ゆかりの地。
當麻寺
竹内街道の北に位置し、681年當麻国見により現在地に建立されたと伝わる。奈良時代、當麻曼荼羅が中将姫によって一夜にして織り成されたと伝わる、中将姫伝説ゆかりの地。中将姫の命日とされる5月14日の聖衆来迎練供養会式(當麻寺練供養)は、2017年で1013回目を迎える。また、真言宗と浄土宗の両宗派の塔頭が集まった全国的に珍しい寺院である。