優れた鋳造技術をもつ「河内鋳物師」よばれた集団の活動拠点として奈良時代から中世にかけての集落跡・城館跡で、溶解炉・るつぼ・鞴羽口(ふいごはぐち)・鋳型片(いがたへん)をはじめ鋳物を鋳造したと考えられる土壙(どこう)等、鋳造関連の遺構・遺物がみつかっている。これらの遺跡は、竹内街道の南側、下高野街道と中高野街道上にあり交通の衝にあたる。