5・6世紀の宮の所在地であった磐余(いわれ)から南下して飛鳥を通過し、下ツ道の軽の衢へといたる古代の道。平安時代の説話集『日本霊異記(りょういき)』の雄略天皇の時代の記述に「阿倍山田の前の道」が登場する。