2つの方墳をつなげた珍しい形の古墳で、東西の方墳にはほぼ同形同大の横穴式石室と家形石棺が納められている。このことから、地元ではこの古墳こそ、本当の推古天皇と竹田皇子(たけだのみこ)の墓と伝えられている。